
Trapping Quincy 運命に逆らうクインシーと王子の出会い 2巻
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Nicole Riddley
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罠
クインシー・セント・マーティン
私は家のドアを背にして地面にへたり込む。心臓の鼓動は……、ある程度平常に近づきつつある。寄りかかっているドアに何度も何度も頭をぶつける。目を閉じて、私を捕らえていた彼の強烈なまなざしを思い出す。
あの目……。どれだけ私の胸が高鳴ったことか……。
心を奪われたかのように彼は私を見つめ、私は自分の目を彼から離すことができなかった。講堂の扉のそばに立ち尽くし、身動きが取れなかった。動くことも呼吸することも忘れてた。世界中のあらゆるものが消え去って、そこには彼と私だけしかいなかった。
誰かが背後からぶつかってきて、私が恍惚状態から抜け出すまで、私たちはどれくらいお互いを見つめ合っていたのか見当もつかない。
彼の美しい顔に宿る獰猛な飢えた表情が、私の中の本能が逃亡か闘争か選べと訴えた。私は逃げることを選んだ。私は振り向くと、洞窟から飛び出すコウモリのように走った。どうやってここに戻ってきたかって? 覚えているのは、講堂に入ってくる学生の群れに紛れ込んだってことだ。
私は人ごみに紛れて一つの扉から講堂に入り、すぐにもう一つの扉から講堂を出た。そして走った。ただひたすら走った。バスに乗って、歩いてここに戻ってきた。
今、私はここで、さっき起こったことを理解しようとしている。何が起こったの? 本当にあんなことがあったの? なんで?
彼は本当に私を追いかけてきてたんだろうか? それとも私の後ろから聞こえてた足音は私の思い違い? 私は何に巻き込まれたの? 私は何をしたの?
あっ、講義休んじゃった……。
私は家の前の階段にしばらく座っていた。考える。ただ考える。神さまは、考えることと私の相性が良くないことを知っている。呼吸と鼓動を正常に近づけてから、私はゆっくりと立ち上がり、玄関の鍵を開けた。
アイザックは家にいて、携帯でYouTubeを見ながらサンドイッチを頬張っている。
「なんで家にいるんだ?」彼は私を見て驚いたように尋ねた。「授業はないのか?」
「え、えっと……、今日はサボったんだ」
「どうして? 体調でも崩した?」
「うん、体調が悪くて……」よし、それで行こう。
とても混乱してるし、息苦しくて動悸がして、興奮して、ちょっと怖い。これは体調があまりよくないってことになるよね?
「あのパーカー、もう着てないんだ」目ざとくアイザックは言う。
「へぇ、そういう人なんだ 」と私は答えた。
「そういう人?」
「わかりきったことをいう人」
「正解!」と彼は誇らしげに答える。
「ねぇ、アイザック? あのパーカーにどんな効果があるの? 人狼にはどんな匂いなのかなって……? 嫌な匂い?」
「俺に何か影響があるわけじゃないかな。着ている人に効果があるんだ。まぁ、決していい匂いではない。明らかにね」
「ははは」私はわざとらしく笑った。「で、着ている人にどんな効果があるの?」
「匂いが変わるんだ」アイザックが説明してくれる。「着てる人の匂いがオメガの匂いになる。退屈で無害なオメガの匂い——その匂いのせいで俺たちはおまえを無視するようになる。人狼の力が強ければ強いほど、パーカーを着ている者は取るに足らない者に見える。だから、アルファにとっては、君は透明人間になったも同然なんだ」
へぇー、知らなかった。私は時間をかけて今の話を考えてみた。どうしようもない悪臭は変わらないけど、浮浪者パーカー(ホーボー・パーカー)に対する私の評価は高まるばかりだ。「ジョナはどうやってパーカーを手に入れたの?」と私は尋ねる。
「わからない」と彼は言い、サンドイッチを再び食べ始める。
「なんで家にいるの?」私は突然話題を変えて彼に尋ねた。
「昼にクライアントと会うんだ。行く前に家で何か食べようと思って」
待って! なに?クライアント? 「アイザックって何の仕事してるの?」
「不動産屋だよ」アイザックが答える。マジで?
「なんで?」私が驚いて彼をまじまじと見ていると、彼は私に尋ねた。
アイザックは清潔な白いドレスシャツとドレスパンツという綺麗な格好をしているが、私は百万年経っても彼が不動産関係の仕事をしているとは思わなかっただろう。
「わあ、その顔?失礼すぎない?」と彼は言いながら、サンドイッチをまた大きくかじる。
「ひょっとして脆いエゴと感情に傷をつけてる?」
「そう、その通り!繊細な心に傷をつけてる」
「いつからこの仕事をしているの?」
「仕事……」と彼が咀嚼の合間に呟くのが聞こえる。「ちょっと前からだよ。まだ始めたばかりだ」
「ふーん……、ジョナはどんな仕事してるの?」私は気になって彼に尋ねる。
「さあね。気づいてないわけじゃないだろうけどさ、ジョナはおしゃべりじゃないからね。父親がベータかなんかだって聞いたけど、どっちかって言うとジョナは怖いアルファの雰囲気を持ってる。おまえみたいに彼に話しかける度胸のあるやつはあまりいないよ。おまえがここに来た最初の日にさ、俺がおまえに何かしたら、俺のタマを潰すって脅されてね。誤解しないでよ。クインシーはセクシーだけど、俺は自分のタマタマが大切でね」
ああ……、ジョナがそれに関係しているんじゃないかとは思ってた。
「ねぇ、何見てるの?」私は彼の携帯のYouTubeビデオを指差した。
「猫のビデオ。猫っておかしいよね。一緒に見る? もう少し時間があるんだ」
「もちろん」と私は答える。「えーっと、これ! すごい量のサンドイッチだね」私は彼に言った。「分かち合いは思いやりよってナナがよく言ってなぁ」
「そりゃぁ、良かったね」
「シェアしたい気分?」
「無理だね。自分で作りな」
***
火曜日の朝。
ラナ以外の全員がキッチンで朝食をとっている。私が浮浪者パーカー(ホーボー・パーカー)を着てキッチンにやって来たのを見て、ジョナは満足そうに私を見ている。レイラは嫌そうに鼻を曲げ、アイザックは楽しそうに笑った。
「またそれを着るの?」とレイラは文句を言う。「なんで見苦しいパーカーで、そのステキな身体を隠すの?」
「黙れ、レイラ。パーカーは見苦しくない」ジョナがキレる。
レイラは顔を下げてシリアルに目を落としたが、その前にこっそりあきれ顔を見せたのを私は逃さなかった。
それから数日間、私はまたパーカーを着て、思考の大半を占めている黄金神(ゴールデン・ゴッド)を探し回る日々を過ごした。うん、大部分を持って行かれている。
私が勉学のために確保していたスペースを奪い取られている。脳内のスペースには限りがあるのに……。
どうやら、金髪の神さまに執着することは、講義で新しい情報を理解し、記憶することと相性が良くないようだ。彼が私を見ていたときの表情が忘れられない。まるで映画のワンシーンのように、頭の中で繰り返し再生される。
思い出すたびに鼓動が高まり、胃が飛び出しそうになる。夜になると、彼の獰猛でゴージャスな顔がこちらを向き、その視線で私をその場に釘付けにする夢を見る。逃げようとするけど、足が重くてうまく動かない。
彼は私を追いかけてくる。流砂の中を走っているような気分だ。彼が近づいてくる。心臓がバクバクして目が覚めた。怖いのがほんの少しで、ほとんどは興奮からだ。どこかで彼に捕まえてほしいという気持ちがある。なんてバカげた思いだろう……、そうでしょ?
ここ数日、私がパーカーを着ている間、彼にまったく見かけなかったのは驚きだった。パーカーを着始めた火曜日には、あちこちで彼を見かけたと思ったのに。
彼を探すのを止められないっていうのは本当に困りものだ。人ごみの中で背の高いブロンドの頭を見かけるたびに、胸が高鳴る。木曜日になっても、キャンパス内で彼を見かけることはなかった。私はだんだんと起こったことに疑いを抱き始める。これって罠だったの?
金曜日……、彼が見てたのは別の人だったんじゃないかと思い始めた。
土曜日と日曜日、あれは妄想だったんだと自分を納得させた。彼はいまにも飛びかかりそうな目で私を見てはいなかった。全部私の想像……。だって、彼がそんな目で私を見る理由なんてある? 周りにはきれいな子がたくさんいて、文字通りみんな彼にメロメロになっている。
彼には私を気にかける理由なんてなにもない、そうでしょ? そんなことあるわけない。
月曜日には、自分の妄想だったと確信していた。あんなことは実際には起こらなかったんだ。でも、臆病な私は念のため、その日の講義を全部サボった。もちろん、彼と一緒に受けている講義も……、念のため……。
学生は毎学期、五回まで罰則なしで講義を休むことが許されている。私はそれを利用していた。火曜日の朝、私はもう十分だと心に決めた。彼のせいでこれ以上講義を休むわけにはいかないし、浮浪者パーカー(ホーボー・パーカー)には感謝してるけど、愛してやまないわけじゃない。
いつかは別れの日も来る。
走りやすいデニムのショートパンツに、キャンディーを連想させる水色、ピンク、白のストライプのコットンシャツ、そして白いコンバースを身につけて部屋を出る。
髪は下ろしたまま。念のため、丸めた浮浪者パーカー(ホーボー・パーカー)をバッグに詰めておく。ジョナは私の服装を見て顔をしかめたけど、何も言わない。
「行く前に朝ごはんを食べないの?」シリアルを食べながらレイラが聞く。
「ううん、時間ないから。ちょっと遅れそうなの」
朝7時半のバスに乗り遅れないようにしないと。
今朝は9時からの最初の講義に行く前に、図書館に寄って何冊かの本を借りて、課題のための調べ物をするつもりだ。
「大学まで送るぞ」とジョナが言う。
私はただうなずいて、彼の後についていく。ジョナと議論しても仕方がない。彼が車で送ると言ったら、その通りにした方がいい。そうじゃないと彼に抱えられて、ジャガイモの大袋を荷台に積むように車に放り込まれるから……
くそ人狼め。
***
キャンパスで人気のカフェ、『クラブ・エスプレッソ・ディグリー』に入ると、自然に笑みがこぼれた。コーヒーの香りと甘い焼き菓子の匂いがたまらない。
今は午前10時過ぎだけど、まだそれほど混んでいない。最初の授業が終わってからすぐに、このカフェに来た。節約のために、あまりここには来ないようにしているのだが、今朝は朝食を食べられなかったからね。うん、とてもお腹が空いている。
スムージーとベーグルを買おうと列に並んでいると、正面のガラス窓に貼られたアルバイト募集の張り紙が目に飛び込んできた。ここで仕事ができたら最高だ。食べ物と私はとても仲がいい。私たちは親友のようなものだ。これは必然だ。運命に違いない。間違いない!
……えーっと、これは自分自身を鼓舞しようとしているやつで、実は……、飲食店で求人広告を見かけるたびにやっている。
「いらっしゃいませ、おはようございます。ご注文はいかがなさいますか?」店員が声をかけてきた。「クインシー?」
「エベリン!」
「どこ行ってたの?昨日の講義、出てなかったでしょ?」私を姿を見て、嬉しそうなエベリンが大きな声を出す。「っていうか、この一週間、ずっと見かけなかったし……」
彼女は一瞬後ろを振り返ってから、カウンター越しに身を乗り出してささやいた。「トラヴィスがあなたを探してたわよ」彼女はいたずらっぽく目を輝かせた。
「う、うん、ちょっと忙しかったの」そう、隠れるのに忙しかった。
「ねぇ、トラヴ!見て、誰が来たと思う?」と後ろを向いて声をかけてから、彼女は言った。「それはそうと……、ご注文はなにになさいますかぁ?」
「マンゴースムージーと、クリームチーズを塗ったゴマベーグルをもらえる?」 私は彼女に言う。「あ、それと……、窓に張ってあった求人も」
エベリンの笑顔が広がる。「トレヴ!聞いた?クインシーもここで働くって!」彼女は注文の品を用意しながら叫んだ。
彼女の背後から、黒いフレームの眼鏡をかけたトラヴィスの顔がのぞく。「やあ、クインシー」と彼は眼鏡を直し、カフェのロゴの入った黒いエプロンを整えた。
「おはよ、トラヴィス」私は彼に微笑みかける。彼は私よりちょっとだけ背が高いくらいで、こんなぎこちない照れ笑いを浮かべると、とても若く見える。
「2時ごろまた来て。その頃には店長のアダムもいるから。いくつか書類を書いて、いろいろ聞かれるだろうけど、でも心配しないでいいよ。決まったも同然だから」エベリンはウインクしながら言う。「アダムはトラヴィスのいとこなの」
「それって縁故採用とかじゃないの? なんかずるしてるみたい」と私は彼女に言う。
「何言ってるの。高給が約束されているサーバー兼スムージー職人としてのキャリアで縁故採用の心配しているの? 聞いたことない? 何を知っているかじゃなくて、誰を知っているかが重要なのよ」エベリンは平然と答える。
「それに、あなたを雇えって言うわけじゃないわ。ただちょっとだけ、店長にあなたを雇った方がいいよって言うだけ。雇わないと帰りにはタイヤがパンクしてるけどって付け加えてね」
冗談であることを祈りながら、私はエベリンに微笑んだ。
「アダムはかわいい女の子を雇うんだ。君を雇わないわけがないよ」トラヴィスが横からそう言った。でも自分がなにを言ったのかに気づいた途端、彼は目を大きく見開いて、頬を紅潮させた。「……ク、クインシーが可愛いって言ってるわけじゃないよ。あ、……でも、君はかわいいけど……あ……、で、でも……」。
「トラヴィス!なにやってんのぉ」エベリンは笑い出す。「どうしようもないわね!」
***
何人かの生徒が芝生に座って本を読んだり、グループで話したりしている学内の庭を横切る私の顔からはまだ笑顔が消えていない。やっと全部うまく回り出した気がする。私は職を持ち、普通の人間の友人がいる、自立した普通の人間の女の子だ。
あとは勉強に集中して、ステキな普通の人間の彼氏を見つけて、普通の人間の赤ちゃんを産むだけだ。できれば二人——女の子と男の子。
突然、以前感じたような激しく、重苦しい空気を感じた。天気は変わっていないのに、嵐が今にも吹き荒れそうな気配だ。心臓が激しく高鳴り始め、胃が痛くなる。呼吸が速く、短くなる。私の体は、私よりも先に彼を感知できるようだ。私はあたりを見回して、眠れぬ夜と狂おしい思いの源を探した。彼は15メートルほど離れたところに立って……、私を見ている!
リラックスして立っているように見えるけど、私には今にも獲物に飛びかかろうとする肉食獣のような感じがする。
私を見つめる彼の強い視線は、まるでレーザーのようだ。私の肌に触れるあらゆる場所を焼き尽くし、焼き印を押し、マーキングする。
罠だったんだ。私はそれを認めることにした。しばらく彼を見かけなかったから、もう大丈夫だと思い込まされていたんだ。外に出て普通に過ごしても大丈夫だって思わせるために……。
でも彼はずっと私を待っていた。
濃い色のデザイナージーンズの前ポケットに親指だけを突っ込んでいる。ブルーグレーのヘンリーシャツが彼の大きな肩と胸を覆っている。金色の髪が太陽に輝いている。私の黄金神(マイ・ゴールデン・ゴッド)。いや、違う……、私の……ではない。
彼は私に走れと挑むように、あごを上げた。だから……、走った。太くまっすぐな黒髪を旗のようにたなびかせながら……。どこに向かって走っているのかなんてわからない。ただ私は全力で脚を動かし、走り続ける。ウサイン・ボルトでも追いつけないだろう。
二つの建物の間を走り、その向こうに緑の森があるのを見て、自分の進む方向は間違っていないと判断した……。キャンパスと森を隔てる鎖のフェンスに気づくまでは……。
私はフェンスの目の前で止まり、苛立つままにフェンスを蹴飛ばした。振り返ると……、彼がそこにいた。3メートルと離れていない。息がどこかで詰まっている。めまいがしそうなほど胸がドキドキしている。
ここには私たちしかいない。彼の唇にはオオカミのような、勝ち誇った笑みが浮かんでいる。気づくのが遅すぎた。彼の狙い通りになっている。彼は走ってさえいなかった。ゆっくりと私に近づく彼の唇から笑みが消える。
彼の目は私の頭のてっぺんからゆっくりと私を飲み込み、私の顔、胸、脚、そしてコンバースの先端に留まり、再び上に戻ってくる。
私は背中が鉄柵に強く押しつけられるまで後ずさる。彼は私の顔まであと数センチというところで立ち止まった。彼はとても背が高くて、私の上にそびえ立つように感じる。こうして近くで見ると、彼はさらに息をのむほど美しく見える。
肌はきめ細やかで非の打ち所がない。目鼻立ちは整い、すべてがまるで御影石を削り出して造った彫刻のようだ。太い金色のまつげの先が太陽に照らされてキラキラと輝いている。その目はまるで早春の新緑のように明るく鮮やかな緑色だ。とても珍しい目……、私のような……。
二人の間の空気は焼け付くようだ。彼は私に支配者然足る激しい視線を向けている。たとえ命がかかっていたとしても、私は彼から目を逸らすことなんてできない。
私たちの激しい呼吸の音しか私には聞こえない。
「мояпринцесса(モヤ・プリンセサ)、私の姫」と彼は唸ったかと思うと、彼は頭を下げて私の首に唇を押し付けた。




