クインシー・セント・マーティン
「痛いぃぃぃ! もう、気をつけてよ!」衛兵が私の上腕を手荒く引きずりながら、ダンジョン……、じゃなくて、独房の軋む階段を上っていく。「その手を引っ込めなさい!」と私は衛兵に言う。
間違いない。こいつはさっき私のお尻に触った。
「変態!」私はつぶやいた。ジョルデンが首を振っているのが見える。ジョルデンを連れて行く衛兵は何の問題もなさそうだ。
確かにお腹が空いているから少し不機嫌なんだけど、こんな風に私を手荒く扱う必要はないだろう。
「ほんとに私はここにいたくないんだって」私はそう不満を漏らす。
実際に、衛兵たちはドアの鍵を開けて、見てないふりをするだけでいい。そうしたら私はここからあっという間にいなくなる。ほらね、ウィンウィンでしょ? そんな難しい話をしてるわけじゃない。
衛兵は私の声を無視して、私を群れの家の広い裏庭に面した地下室の扉に向かって引っ張っていく。彼は大きな音を立てて扉を開け放った。突然、あらゆるものが一気に飛び込んできた。光も、音も、匂いも、何もかもが、膨大な量で。
苦痛に思えるほどの情報量だ。膝ががくがくと震え、両手で目を覆った。
「クインシー!」ジョーデンの不安そうな声がする。「クインシー、大丈夫?」
ああ、ジョーデン。大丈夫そうに見える? 叫び返したかったけど、不思議なことに彼の声が私の耳への圧迫感を和らげてくれていた。彼の声が私の焦点になって、他のすべての音をホワイトノイズのように背景に押しやってくれる。
私の五感は圧倒的に鋭くなったように思う。でも衛兵に引っ張られてる今、その変化に慣れる暇はなかった。私は鋭く息を吸い込んだ。外の空気はあそこよりずっといい匂いがする。すぐに強い外の光も気にならなくなった。
私はゆっくりと顔から手を離し、周囲を見回した。
今、庭のいたるところに人がいて、そこにはたくさんの色があった。ものすごくたくさんの明るい色の数々。私を混乱させる光景から目を逸らすと、ジョルデンの困惑した瞳が目に入った。私たちは周りの状況に再び目をやる。
たくさんの群れのメンバーがここにいる。みんな一張羅を身にまとっている。テントや旗、色とりどりの横断幕があちこちにある。
食べ物の匂いが私の食欲をそそる。
さっき聞こえてきたのは間違じゃなかった。お祭りが行われている。
王族の来訪を祝っているのだろうか、それともジョーデンと私の裁判と処刑を祝っているのだろうか。衛兵が私たちを引っ張って広場を横切ると、人々が立ち止まって私たちをじろじろ見る。ただ見つめるだけでなく、指を指しながら私たちのことを話したり、ささやいたりする人もいる。
そんなことはどうでもいい、私には彼らの声がはっきりと聞こえるのだから。
ノイズを分離し、一度に一つか二つの声に集中して、彼らの言うことを聞き取ることができるようになるまで、1分もかからなかった。どの声も私たちのことを良くは言っていない。そんな声をまるで役に立たないホワイトノイズのように私は無視した。
テントやゲーム、ピクニックテーブルが立ち並ぶ通りをさらに引きずられるうちに、この人たちがみんな私たちについてきていることがわかった。
広場の端に来て、衛兵たちは私たちを森の中に連れて行く。もうすぐ冬になる。空は灰色だ。秋の鮮やかな紅葉も終わり、今はくすんだ茶色の葉が足下に落ちているだけだ。背の高い裸の木々は、しなびた死体や乾燥した骸骨のように、私たちを覆っている。地面は昨夜の雨でまだ湿っていて滑りやすい。
森を抜けて10分ほどで、別の広場にたどり着いた。ここは通常、焼月の集い(バーニング・ムーン)が行われる場所——遺体が焼かれる場所だ。
ナナから何年も前に聞いた話では、以前は裁判は群れの公民館で行われ、刑の執行は死者を焼く焼月の集い(バーニング・ムーン)が行われる場所でされたそうだ。今は裁判も処刑もここで行われている。
死んでいようが生きていようが、拷問の後、ここで罪人に火をつける方が手間がかからないのだろう。刑罰は罪によって数時間だったり数週間だったりする。罪が重ければ重いほど、罰は長引く。
皮肉なものだ。ほんの数カ月前、マドックス氏の番いがここで焼かれた。空き地の中央には、木のベンチが何列も何列も並べられている。大勢の人々がすでにそこに座り、私たちを待っている。
お祭り会場から私たちの後ろをついてきた人たちも加わっている。
いつもは地味な場所である焼月の集い(バーニング・ムーン)の会場も、今日は木に旗を立て、空き地全体を囲むポールに旗を結び、お祭りムードが漂っている。私たちの処刑のために、こんなにもすべてを明るい雰囲気を作り出してくれるなんて、光栄に思わないとね。できれば風船があればいいのに。風船は大好きだ。
私たちが最前列に連れて来られると、そこにはたくさんの見知った顔があった。幼なじみの子供たち、同級生、学校の先生たち何人かいる。
後ろから三列目に座っているのは、焼きたてのシナモンロールやバゲットと引き換えにナナに新鮮な卵を送ってくれていたバーネット先生だ。
ナナの家にお茶を飲みに寄っては、子どもたちの愚痴をこぼしたり、新しく結婚した隣人の噂話をしていたミラー夫人もいる。みんなと再会するのは不思議な気分だ。見慣れた場所と顔だけど、ここは私にとって故郷ではない。
母親とその番いのジョン、そして異母妹のケイトリン・ローズが前から数列目に座っているのを見つけた。いとこのジョエルは、親友のケリー、ナオミ、シャーロットと一緒に彼らの前の列に座っている。彼らの顔はあまり幸せそうには見えず、私は無意識に彼らの会話に集中した。
そう、私は詮索好きなのだ。
ケリーが話している。「あの人、驚くほどセクシーで、しかも私たちの未来の王でしょ? 王妃になる唯一のチャンスなのよ。誰にも譲らないわ」
「でもジョエルは、彼女が一番最初に唾をつけたって言ってたわよ」シャーロットが答える。
「そうよ、ケリー。もうわかってるでしょ」ナオミが言う。「あなた、最近ちょっと嫌な女(ビッチ)になってるわよ」
「私が嫌な女(ビッチ)? 私は自分に正直になってるだけ。もう取り繕うのに疲れたの。あなたたちはいつまでもバカみたいにジョエルについて行ったらいいわ」
ケリーはにやにやしている。「私は自分のことが大切なだけ。私に言わせれば、王子さまは誰のものでもないわ」
「ふーん、一人前になったんだぁ。ご立派なことね、ケリー」嫌みたっぷりにジョエルが言う。
大したズッ友なことで……。ジョエルは弟のジョーデンのことで動揺していて、男のことなんて考えていないと思ってた。
ジョルデンの母親のマリアおばさんもそこにいて、ルナ・ビアンカの隣に座っている。
私は興味深く彼女を見る。今、彼女は二男を失う可能性がある。それが彼女に何か影響を与えていることを示す兆候を探すためだ。彼女は正面を向いて、強ばったように座っている。彼女は私たちの方を見ていない。だから自分が見たいと願っているものを見ているだけかもしれないけど、彼女の目は赤く充血していると思う。そうでなかったら悲しすぎる。
衛兵が私たちをさらに奥まで連れて行く。その時、私は彼らを見つけた。最前列に座っている8人のライカンだ。その姿はただの人間に囲まれた神々のように見えた。周りの空気が変わったのを感じる。電流が走る。私の黄金神(マイ・ゴールデン・ゴッド)が真ん中に座っている。まるで玉座に座っているかのように、大きくて立派な体を持つ彼は、堂々と椅子に座っている。
その美しい顔は御影石に彫られたすばらしい彫刻のようで、鮮やかな緑色の瞳は明るく、威嚇的で、飢えた眼差しで私を捉えている。
全員が私を見ている。ラザルスもダリウスも冷たく不気味な表情をしている。コンスタンティンも同じように冷ややかで威圧的だ。でも同時に穏やかな好奇心と愉快そうな表情が見え隠れしている。セリーナは冷静でまったく無関心に見えるけど、その暖かい琥珀色の瞳の奥底には危険な光が見える。ペニーの目は捕食者の歓喜に溢れてる。ジェネシスの顔は邪悪な喜びに満ちている。
私は皆に微笑みかけたが、衛兵が私の腕を乱暴に引っ張り、私を先に進ませた。私はふらつきながら歩いて行く。
焼月の集い(バーニング・ムーン)のための場所は、3.5×3平方メートルの何も生えていないところで、煤と灰でいっぱいの焼け焦げた場所だ。
未来の王、カスピアン王子はさらに後方に腰掛ける。固く閉じた唇に指を当てながら、私が薪の山のそばに連れて来られるのを見ている。ジョーデンは私の横に立たされた。
アーチャー卿は椅子から立ち上がり、衛兵が私たちを置き去るとすぐに私の隣に立った。
私は顔を上げて、誇らしげにそこに立った。ライカンたちから——特にカスピアンの暗示をかけるような緑の瞳から——目を逸らし、もう一度周りを見渡した。私の左側には群れの長老たちが座っている。私の知る限り、彼らはみな腐敗している。
私の右側には、ベータ・セント・マーチン、デルタ・ロッシュ、そして衛兵長がいる。
アルファ・マドックスは衛兵長の隣に立っている。彼のドヤ顔に目が行った瞬間、私の口によだれが溢れた。私の内にいるモノは、かなり空腹のようだ。
アルファが話し始めた。その声を聞きながら頭に浮かぶことは、彼の喉を食いちぎることだけだった。私の耳は彼の鼓動を捉え、私はその胸から心臓を引きちぎりたい衝動に駆られる。
ジョーデンに危害を加えるというアルファの脅しを思い出して、私の空腹がピークに達する。胸が温かくなり、突然、立っているのが耐えられなくなる。
突然、アーチャー卿が私の肩をがっしりと掴み、その場に押しとどめた。前に進んだのか、アルファに数歩近づいていた。
カスピアンの目はすぐに、私の肩に置かれたアーチャー卿の手に注がれる。彼の顔は読めないままだが、不服そうに目を細めている。
アーチャー卿は私をそっと引き戻す。「辛抱しなさい、お嬢さん」と彼はささやいた。
彼は私の肩をぎゅっと握り、私を完全に現実に引き戻してから肩を離した。
アルファ・マドックスは私に対する告発を読み上げた。
「クインシー・セント・マーティンは、前アルファの第二の番いだ。彼の最初の番いは二ヶ月ほど前に亡くなった」
老いぼれマドックスの話に、私の胸は再び怒りに燃えた。カスピアンが歯を噛みしめているのがわかる。殺意への飢えが、彼の冷たく輝く瞳に映し出されている。アーチャー卿の静かな気配だけが、私のそばにいて、にやにや笑うアルファに飛びかかってはいけないと気づかせてくれる。
「昨夜、彼女にマーキングをしようとしたとき、彼女が前アルファに毒を盛った」アルファ・マドックスは怒りにまかせて吐き捨てた。「彼女は生きたまま火あぶりにされるべきだ!」
アルファの宣言に、部下と聴衆から賛同の歓声が上がる。ほとんどの群れのメンバーが立ち上がり、同意の声を上げた。
ライカンたちの様子にほとんど変化はない。ジェネシスは一瞬目を細め、ペニーはアルファを冷ややかに見つめている。カスピアンは退屈そう見える。喧噪がやむと、アーチャー卿が立っているアルファに近づく。
「アルファ・マドックス、私たちの多くは第二の番いなど存在しないと考えています。クインシー・セント・マーティンがマドックス氏の第二の番いであることをどうやって証明するのですか?」
「私の父、マドックス氏はつながりを感じていました」とアルファ・マドックスは答える。
「私は何のつながりも感じませんでした」と私は思わず口に出す。
アルファ・マドックスが私を睨みつけた。「もちろんおまえは感じなかった。ただの人間だからな!」
お前はただのアホだ。
「なるほど」とアーチャー卿は微笑む。「では、彼女が元アルファに毒を盛ったことをどうやって証明するのですか?」
「お言葉ですが、アーチャー卿。彼女が仲間や前アルファを殺そうとした罪は明らかなのに、なぜ私が尋問されるのですか?」マドックスは歯を食いしばって聞く。
「私たちライカンは残忍な正義を信じています」とアーチャー卿は言う。「目には目をというものです。しかし、私たちはまた、誰もが公正な審問を受けるに値すると信じる王宮の代表でもあります。もう一度聞きますが、クインシー・セント・マーチンがマドックス氏に毒を盛ったと、どうやって証明しますか?」
アルファは嫌そうな顔をしているが、質問に答える以外の選択肢はない。
「あの晩、彼はまったく元気でした。その後、交配の儀式を済ませるために、二人きりで部屋にいました」と彼は言う。
カスピアンが肘掛けをつかんでいるのが見える。気をつけないと壊しそうだ。
「私たちは彼が苦しみ叫ぶのを耳にしたのですが、彼女はドアを開けませんでした。それでドアを壊して中に入ると、彼が息も絶え絶えで床に倒れ、体中の穴から血が流していたのです」
彼は間をとってから、さらに続けた。
「部屋には彼女以外誰もいませんでした。彼を傷つけることができたのは彼女しかいません。彼女は毒の種類を明かそうとしませんでした。彼女が彼を苦しめて殺そうとしていたのは明らかです」
老いぼれマドックスの苦しんでいた顔を思い出す。あの悲鳴、あの血……、私の中の飢えがかき立てられ、思わず顔がほころんだ。
「今朝、私たちはマドックス氏の容態を安定させるお手伝いをしました」とアーチャー卿が語り始める。「彼は元通りにはならないかもしれません。いくつかの臓器がかなり深く損傷しており、完全な機能を取り戻すことは不可能ですが、彼は生きています」
金色の猫目を私の方に向ける彼の目の輝きは、「今のところは」と言っているようだ。老いぼれマドックスが生きるとわかった今、私の中の空腹は耐え難いものになっている。ナナを殺したことを告げる彼の声が頭の中で流れ、胸がさらに怒りで燃える。
カスピアンが自分の席で落ち着きをなくしているのを感じる。彼は世界一忍耐強い男ではないし、私も忍耐強い女ではない。
「私たちがどうやって彼を治療したのか、不思議に思いませんか? 前任のアルファがどんな種類の毒を摂取したのか、興味はありませんか?」とアーチャー卿が尋ねる。
彼は私たちの前にいる人々を見回す前に、アルファを見る。その唇がゆっくりと笑みを浮かべた。「彼はかなりの量のライカンの血を飲んでいました」
アーチャー卿の発言は衝撃と混乱の息を呑む音で迎えられた。そして、多くの人々が話し始め、一斉に質問を投げかける。
「なんでそんなことが?」とアルファ・マドックスが驚いた顔で尋ねる。
「わかりませんか?」アーチャー卿は私の方に手を振りながら言う。「彼はライカンにマーキングをしようとしていたんですよ。しかも無理矢理、本来手を出すことさえも許されない相手に対して」
アーチャー卿の言葉に、さらなる混乱が沸き起こり、驚愕の顔が向けられる。みんなショックを受けた顔をしている。
「し、しかし、そんなことはあり得ない!」 ベータ・セントマーティンが叫び、突然立ち上がった。「彼女は人間だ。私はちゃんと知っている。彼女は……、彼女は……、私の……姪だ!」
「もういい!」カスピアンが唸って、椅子から立ち上がる。もう我慢の限界に到達したようだ。「彼女は俺のものだ!」彼は肉食獣のように優雅に私に近づく。「お前のバカな元アルファが、俺の番いを奪おうとしたんだ! おまえらの未来の王妃をな」
カスピアンが手を伸ばしたとき、私は彼の手を握った。彼の目、彼の強烈な緑の瞳が私を捉える。彼の視線は今、すべて私に注がれている。彼は私の手を持ち上げ、私の指の関節に唇を近づけた。私の腕は彼の温かさと力でしびれている。それは私の焼け付くような胸の熱さを和らげてくれる。
「何が望みだ、俺のプリンセス?」
あなたよ。あなたが欲しい。
「私は元アルファの老いぼれマドックスが欲しい」と彼に言った。「あいつは私のナナを殺した。慈悲も後悔もなく首をへし折った。目には目を。命には命を。血には血を。私は彼の血が欲しい」
私の宣言に空気が揺れ動き、すべてのライカンが座席で身を乗り出している。彼らの抑えきれない邪悪で無慈悲な興奮を感じる。
カスピアンの目は怒りと血への渇望で輝いている。
「あなたの望みのままに、愛しい人よ」