
His Lost Queen 失われた女王 11 巻
この巻は「His Lost Queen 失われた女王 10巻」からの続きです。
第44章
ベル
「なんてものを着ているんだ?」
その声に飛び上がり、振り向くと、部屋のソファに座っていたパートナーと目が合った。部屋に入ってくる音がまったくしなかったので驚いた。
グレイソンがこんなに早い時間に帰ってくることは一度もなかったので、てっきり今夜はひとりなのだろうと思っていた。
だから、ミニーがくれたビキニに着替えてクローゼットから出たところだった。このままホットタブに行く気でいた。このときの私は心身ともに恐ろしく張り詰めた状態だった。
だから、この先数時間、手足がふやけるまで、熱めのお湯でリラックスしたかった。
『トワイライト』も手に入れていた。ミニーに勧められたとき、この本を読んだことがないと気づいたのだ。空想の世界の人狼とヴァンパイアの物語に没頭する気満々だった。
そして何よりも、気晴らしが必要だった。目の前に座っている男に執着しないようにするためだ。
「あっ、おかえり」と返した。彼を前にすると体が熱くなり、そわそわし始める自分が嫌だった。でも、彼がいるだけで一瞬にして安堵で満たされた。
無意識に彼に近づきながら「あなたが帰っていたのに気づかなかったわ」と続けた。
グレイソンが立ち上がり、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
今日の彼は素敵だった。いや、そうじゃなくて、彼は毎日素敵だった。濃い色のズボンとシンプルなシャツを着ていて、動くたびに筋肉が波打った。
「俺の質問に答えてくれるかな、パートナーさん」
私は着ていた黒のビキニに目を落とした。三角形のトップとベーシックなデザイのボトムだ。きっとこれまで見た中で一番シンプルなデザインだろう。特徴は一切なかった。
しかし、唇をなめながら私の体を上下にゆっくり観察しているグレイソンの様子を見て、違う考えが浮かんできた。
息を飲み込んだあとで、「水着だけど?」と答えた。
目の前に近づいた彼は、手を伸ばして、ビキニの紐をいじり始めた。乳房の少し上の紐を指で挟んで転がし、もう一方の手は私の腰に置いた。
「どうして着ているの?」 そう聞いてきた彼の声は仄暗く官能的で、私の乳首がダイヤモンドのように硬くなった。彼の目は乳房に注がれ、薄いトップス越しに乳房を見ると目の色が濃くなった。
そして、私の腰を強く握り、顎に力を入れた。すると、性的な緊張感で部屋の空気が張り詰めた。
あらまあ、ミニーのランジェリーの提案、当たったのかも。
「ホットタブで読書しようかと思って」と、静かに説明した。
私のビキニに目をやった彼が訝しげに「これを着て?」と言った。
その言い方に、私は身構え、ほんの少し不安になった。
「ええ、これを着てね」と言って、胸の前で腕を組んだ。「水着だもの。それとも生まれたままの姿のほうがいいかしら? きっと群れのメンバー全員、見たがるでしょうね」
まずい、これは言っちゃダメだった。
グレイソンは唸りながら両手で私の腰を掴んで、叩きつけるように引き寄せたので、思わず声が漏れた。
「絶対にダメだ。そんな格好で外出させない」 今度は私の手を掴んで、クローゼットに引っ張って行った。
「誰かに見られるわけじゃないんだから」と反論し、固く握られた指から手を引き抜こうとした。「ホットタブを使う人なんていないよ。それに、お湯に入るまでバスタオルを巻くつもりだし」
「ダメだ」と、グレイソンがうなった。「リアムと一緒に行くつもりだったのか? それともひとりで、そんな裸同然の格好で行くつもりだったのか?」
私はまだ手を引っ張り続けていた。自分より100万倍も強い人を相手に、そんなことは意味がないとはわかっていたが、それでも彼に振り回される前に抵抗したいと思った。
「リアムは今夜約束があるみたい。それとも、あなた、リアムに私のビキニ姿を見せたいの? もしかしたら、後で来られるかも知れないわね。そうなったら楽しいかも。
「裸同然の姿でリアムと私が、温かいお風呂に入るのよ。ふたりの仲がもっと深まるわよ、きっと」
ああ、まただわ、ベル。それも言っちゃダメよ。
グレイソンは大声でうなり、その振動で壁が揺れ、棚から物が落ちてきた。うなり声が止まっても耳鳴りがしていたので、私はたじろいだ。
彼は大きな手で私のあごをつかみ、自分の顔から5、6センチのところまで近づけて言った。「さあ、着替えるんだ」
その声は厳しく、容赦のないものだったので、言うとおりにしなかったらどうなるかと心配になった。彼は怒っていた。激怒していた。こんな状態のグレイソンに抵抗してはいけないことを私は知っていた。
涙を必死に堪えながら、私は踵を返してクローゼットに向かった。足の間に尻尾を巻き込んだ犬の気分だった。
クローゼットの入り口で立ち止まり、そこにある洋服を見た。これからどうすればいい? 前に着ていたジーンズとセーターに着替える?
行くところはないし、グレイソンももうすぐ出ていくだろう。いつものように、私の様子を見に来ただけで、また仕事に戻るはずだわ。
ということは、少しはまともな夜を過ごそうと思ったのに、諦めろってこと? パジャマを着てベッドに潜り込んで、どれだけグレイソンが恋しいかだけを考えながら、眠っては起きてを繰り返すってこと?
ここ数日間、そんな夜を繰り返していた。眠りに落ちると、すぐにグレイソンの夢を見た。彼の感触、彼の声、彼の微笑みを。
彼のそばにいたくて堪らなくなり、寝返りしながら、そればかり考えていた。
彼が帰宅して、ベッドに入り、両腕で私を包んでくれるとやっと安心できた。もう一晩、狂うことなくそんな夜を過ごせる自信はなかった。
どうするか決めてから深呼吸して、棚からタオルを取り出し、踵を返した。グレイソンの横を通り過ぎて外に出るつもりだった。
グレイソンの威圧に屈して、彼の思い通りにさせるわけにはいかなかった。自分のことは自分で決められる。そうよ!
彼の横を通り過ぎたとき、「何をしてるんだ」と言う声が聞こえた。その声は深いうなり声と混じって警告しているようだった。
「ホットタブに行くの」と答えた。心の中ではパートナーに服従しなきゃダメと言っている自分がいるにもかかわらず、自信に溢れた揺るぎない声で答えられた自分が誇らしかった。
でも、バカで愚かな自然が、支配的なオスの意のままに私を屈服させようとしていた。そして、私の本能は、彼のもとに戻って頭を横に傾けて服従の仕草をしろと叫んでいた。
でも、今回は従順にはならない。グレイソン、自分のマゾヒスティックな理想を妄想しながらオナニーしてなさい。
もう一度、耳をつんざくようなうなり声が彼の胸から聞こえ、次の瞬間、私は彼の肩に担がれてクローゼットに戻されていた。
「いや!」と叫び、彼を蹴り、背中に拳を叩きつけた。「どこかの専業主婦みたいに、この部屋であなたの帰りを待ってもう一晩過ごすなんてできない!
「下ろして! 今すぐ下ろせ! あんたって本当に最低なクソ男で、本当に、本当に……」
喉の奥に大きな感情の塊ができて、それ以上下品な言葉で罵倒できなくなった。あっ、ダメだ、泣き出しそうだ、私。
グレイソンの断固とした歩みが突然止まった。彼の体は固くなり、肩から下ろして、ゆっくりと床に足を着けさせてくれた優しい手から、私を心配しているのがわかった。
床に下ろされた途端、私は数歩後ずさりした。彼から離れたかったのだ。
喉鳴らしの鳴き声を出し始めたのを聞き逃さなかった。彼がこれをすると、私は自分の感情にアクセスできず、思考を麻痺させる振動ですべてかき消されてしまう。私がそれを嫌っているのを知っている彼は聞こえないように静かに鳴いていた。
私は両手で顔を覆った。彼を見ることができなかった。彼を見たくなかった。
「ベル…」と言うグレイソンの口調はさっきよりずっと優しく、それだけで私は声を殺して泣きたくなった。
でも、どうにか冷静さを保ち、感情の波が過ぎ去るまで深呼吸することに決めた。
彼は一歩前に出て私の手首をつかみ、親指で肌をなだめるようにさすり、顔を覆う手をどけるように促した。私は首を振り、彼の手を払いのけた。
「ベル、話してくれ。どうしたのか教えてくれ」と、グレイソン。
私は震える息を吐き出した。まだ話せなかった。
「さあ、いい子だ。何が起きているのか教えてくれ。解決したいんだ」
私はようやく手を下ろした。目からは数滴の涙がこぼれていたが、少なくとも少しの間は涙のダムが決壊しないように保っていた。
彼を見ずに話をした。「今週は忙しくてあまり会えないって言ってたけど…でも、あの…」 胸が締め付けられてためらった。「軽い閉所恐怖症になり始めていると思うの」
それは軽い言い方だった。本当は禁断症状を起こした中毒患者のような気分だった。
グレイソンは私の頬を包み、親指で涙を拭った。「閉所恐怖症? ベイビー、どういう意味なんだ?」
私は震える息を吸い込んだ。「つまり……夜、ひとりでここにいると、ただじっとして……あなたのことを考えるだけなの」
私は周囲を身振りで示した。「なにもかもがあなたの匂いで、あなたのものに囲まれて……」 言っているうちに情けなさがこみ上げて肩をすくめた。するとしゃっくりが出た。「自分の何がおかしいのか、わからないの」
大きな腕が私を包み込み、振動する彼の胸に引き寄せた。「しーっ、ベイビー。ごめんな。俺が悪かった。泣かないで。お願いだ、泣かないでくれ」
彼の抱擁を情熱的に受け入れ、降伏し、数分間彼の胸で静かに泣いた。
グレイソンはその間ずっと私を抱きしめ、足先まで音が伝わるほど大きな喉鳴らしの音で鳴いた。ようやく離れたときには、すべての緊張が解けたような気がした。
たった数分間、彼の腕の中にいただけで、こんなにも気分がよくなるなんて。彼はいとも簡単に私を落ち着かせてくれるのだ。
彼の顔を見上げたとき、本当に心配している表情が見て取れて、自分の愚かさに笑ってしまった。
ほんと、この感情をコントロールできるようにならないと。グレイソンは私が正気を失ったと思ったことだろう。
私は鼻を拭き、恥ずかしい感情の爆発の証拠を消そうとした。「ごめんなさい。そんなに心配そうな顔になるなんて。心配させるつもりはなかったのよ」
そう言って深呼吸をした。「あなたが恋しかったの。それだけ。あなたが全世界の王として忙しいのはわかってるもの」と、私は懸命に説得力のある笑顔を作ろうとした。
「あなたを独り占めするほどわがままじゃないわ。できればそうしたいけどね」
まだ両手を彼の巨大な胴体にまわしたまま、神経質な動きで背中のシャツを弄んだ。
「みんなが忙しくて、私には何もすることがない夜がつらいの。そして、この部屋にひとりで、あなたの匂いに包まれている。ずっと同じ場所にいるせいで、気が狂いそうになってしまうの」
私が言葉を発するたびに彼の眉間のシワがどんどん深くなった。私の頬を撫でながら、「ここのところ、ひどいパートナーだったな、俺」とグレイソンが言った。
すぐに首を振って、私は言った。「いいえ、そんなことはないわ。あなたは素晴らしいし、完璧よ。あなたともっと一緒にいたい私が欲張りなの。あなたを好きだから」 そう言ってその場の雰囲気を和ませようと微笑んだ。
これは本心だけど、彼に罪悪感を抱かせることだけは絶対にしたくなかった。もしもグレイソンが一緒に過ごす時間を長くしてくれたとしたら、彼と一緒にいるかって? もちろん、今すぐにでもそうするわ。
私のわがままを聞いて彼の王国の幸福を犠牲にしてほしいと思うかって? いいえ、絶対にいや。彼と過ごす時間が短くなるのが王国の幸福のためなら、それで構わない。
グレイソンがこの話をまだ続けようとしていたので、私は急いでこう続けた。「この話はもうよしましょ」
そう言って、手でやめる合図をした。「ところで、ここで何をしているの? 今夜も遅くまで仕事だと思っていたわ。あなたが宮殿にいることさえ知らなかったのよ」
無表情のままで私を見つめるものだから、一瞬さっきの私の泣き言に話を戻すつもりなのかと疑った。
しかしすぐに彼は私を引き寄せた。体は密着しているけど、彼の顔を見上げる余裕はあった。彼の喉鳴らし音が少し大きくなった。
「自分の片割れが恋しいのは君だけじゃないよ。実は仕事に戻る前に君を夕食に誘いたかったんだが……」 かろうじて布で隠れている私の体をもう一度見回して、グレイソンは言葉を飲み込んだ。
自分の服装をすっかり忘れていたが、突然、私の乳房に彼の熱い視線が注がれたとき、ビキニ姿だったことを思い出した。
歯を食いしばる音が聞こえてきた。「でも今はかわいい恋人とホットタブに浸かりたいって思うんだ」
私の眉は驚きで吊り上がり、胃もひっくり返りそうだった。大変だ。私は本当に情けない人間だった。だって彼と一緒に過ごせるなら何でもすると思ったもの。
「本当に? でも、さっきまで着替えろって言ってたじゃない? 2秒前くらいの話よね?」
彼は肩をすくめ、その手をビキニボトムの横の紐に絡めてきた。ちなみに、このボトムは両端を紐で結ぶタイプだ。
グレイソンはいたずらっぽい表情を浮かべた。「気が変わったよ。今日は忙しい一日だったし、君の疲れ具合からすると君もそうだろう。ホットタブで1、2時間一緒に過せたらありがたい」







































