英国屈指の権力者であるメイソン・キャンベルは、人を魅了するセクシーな見た目ではあるが冷徹で、無愛想。病気の父親への治療費を稼ぐために、より良い収入を得られる仕事を求めていた女性ローレン・ハートは運良く彼のアシスタントになった。しかし、常に彼の暴君っぷりに疲れ果てていた。しかしメイソンはローレン以外には目もくれず、彼女に断れない申し出をする。
対象年齢:18歳以上
ローレン
愛する人を救うため、炎が燃え上がるビルの中へ飛び込めるだろうか?
誰しが一度は考えたことがあるはずだ。でもそれを確かめることは難しい。
大切なもののためなら自分を犠牲にできる、そう信じるしかない。
父の病気を告知された運命のあの日以来、心の中で何度も繰り返し自問している。父を救うために私はどこまでできるのか?
母が家を出て行ってから、父はたった1人の家族だ。物心がついた時から父は私の世界そのものだった。
死に至る病を患った父を救う手立てはひとつもなかった。
少なくとも彼に出会うまでは……
メイソン・キャンベル。アルマーニを着た悪魔。
英国女王より裕福であり、 その影響力は女王の2倍。
メイソン・キャンベルを知らない人はいない。
彼の魅力に落ちる女から 、 主催する会議の席を争う男まで。
どんな犯罪者よりも危険な人物と人は言う。
彼の財源は、血と暴力、そして世界各地の悪魔との取引だそうだ。どこまでが噂で、どこまでが真実か、私には知る由もなかった。
彼のような人には絶対に近づいてはいけない。そんなことは分かっていた。
でも父の高額な医療費を賄えるだけの給料をくれるのは彼だけだった。
この悪魔の下で働くことになった理由がこれだ。
こんなことになるとは思ってもいなかった。
何度も考えた疑問の答えを知る日がこれほど早く来るなんて……。
愛する人を救うため、全てを犠牲にできるのか?
***
「ハートさん、 遅刻です」
ロンドンで最も格式の高いホテルの部屋の前に立ち、メイソン・キャンベルの生気のない銀色の瞳を見つめていた。この謎に包まれた億万長者こそが私の上司だ。
いつものように、完璧に仕立てられたデザイナーズスーツを着こなした彼は地獄に堕ちた天使のようだった。鍛え抜かれた筋肉がスーツの中で窮屈そうにしている。
挨拶もそこそこに、彼は踵を返して部屋の中へ戻る。心臓が破裂しそうな私をドアの前に立たせたまま何も言わずに。
急いで彼の後を追ってリビングルームに入ると、そこは豪華な調度品が設えられ、バルコニーの窓の向こうには素晴らしい景色が広がっていた。
部屋の暗がりをじっと見た。キャンベル・インダストリーで働き始めてから1か月になるが、こんな夜遅くに彼の個室に呼ばれたのはこれが初めてだった。
影になっている部屋の隅にチンピラが隠れていて、私の頭に銃弾を撃ち込み、テムズ川に放り込むかもしれないと疑ったりもした。しかし、どうやらここにいるのは私たちだけのようだ。
振り返った彼は氷のように冷たく、ずる賢い目を私に向けた。部屋の中は寒いのに、体のあちこちが急に熱くなり、汗がにじみ出てきた。
「座りなさい」
しぶしぶソファーに座った。ミスター・キャンベルは別の椅子に座り、横柄な態度で悠々ともたれていた。
脚を組んで私をじっと見つめ、指でゆっくりと太ももの上でリズムを取るその姿に、胃が締めつけられた。
何を期待してここに来たのか、自分でも分からなくなっていた。
今は真夜中の3時。
普段の私なら、こんな真夜中に上司から呼び出しの電話がきたら絶対に出ない。どんなに重要な要件でも無視させてもらう。
でも、私のボスはあのメイソン・キャンベルだ。
メイソン・キャンベルにノーなど言えるわけがない。この先の幸せな人生をドブに捨てる覚悟でもない限り。
こんな真夜中に呼び出した理由を探るため、彼の表情をじっと観察してみた。
「ハートさんはお酒は大丈夫かな?」
彼は立ち上がり、クリスタルのタンブラーから飲み物を注いだ。
「いいえ」 喉がカラカラで、本当は一杯もらいたかったが、なぜか自分が試されている気がしていた。ここで失敗したら、おそらく二度と日の目を見ることはないと思った。
ところが、要らないと言った私の答えを無視して、私の分もグラスに注いでいた。
そして私の前のテーブルにドンと置いた。
ソファーに座る私の隣りに移動して腰掛けた。
目の前のグラスを手に取り、中の飲み物をじっと見つめてたが、私から目を離さないミスター・キャンベルの銀色の目を感じていた。グラスを手に持っているだけで、彼も口をつけなかった。
「ハートさん、私が君を雇った理由が分かるかい?」
その理由を考えていた。望めば誰でも手に入れられるのに、わざわざ私を雇った理由は何なのだろう?
私の体を貫く彼の冷たい視線に心が大きく乱れた。
「私には……分かりません」 当てずっぽうは避けたかった。
メイソン・キャンベルは確実に見抜く。
だからといって正直に言っても何の役にも立たない。
この男は人の上に立つことに慣れている。その果てしない力に誰も歯向かうことなどできない。つまり、彼の周りには常に賢く頭脳明晰な人たちがいて、それが当たり前なのだ。
それに、メイソンが嘘つきと愚か者のどちらを嫌うか知らなかった。
「なぜ私を雇ったのですか?」
すると、手つかずのままドリンクを置き、膝に肘をついてこちらに身を乗り出した。
彼のシャツの下で隆起する上腕二頭筋に気づかない振りをした。
ボタンの外れたシャツから見える筋肉質で逞しい胸を見ないようにした。
「今夜質問するのは私だ」 厳しい口調だった。
グラスから一口だけ口に含み、アルコールの苦味にむせながら急いで飲み込んだ。
「ハートさん、ご結婚は?」
それを知りたがる理由はなに?
「答えなさい」 威圧的だ。「悠長に待っている時間はないからな」
「いいえ、未婚です」
「恋人は?」
心臓の鼓動が加速していくのを感じた。
「いいえ」
「愛人は?」
「ミスター・キャンベル、あの……とても個人的なことなので」と言い淀んだ。
「いるのか、いないのか?」 息からアルコールの匂いがするほど近づいて聞いた。
「いません」 躊躇しながら震える声で答えた。
「上出来だ」
上出来ですって?!
この人はどうしてそんなことを気にするの?
「つまり君は100%この仕事にエネルギーを注げるということだな」
「それは約束します」
「今後、君は私の仕事にもっと深く関わることになるが、いいかな?」
「それはどういうことですか?」
突然立ち上がってミスター・キャンベルが離れて行った。このとき、この部屋に入ってから止めていた息をやっと吐き出せた。
長い沈黙のあと、、彼が口を開いた。
「ハートさん、君に提案がある。君には拒否権はない」
***
1ヶ月前。
目覚まし時計の音がナイフのように夢を切り裂き、その衝撃で目が覚めた。
しばらくベッドに横たわったまま、カビで汚れたアパートの天井を照らす灰色の朝の光をぼーっと見上げていた。
夢の内容はよく覚えていない。漠然とした影、大きな怒声、医療器具の警告音だけが記憶に残っていた。
今では、毎日悪夢にうなされることなど想定内だ。
父の病状は悪化の一途をたどり、医療費の請求書がキッチンのカウンターに山積みになっていた。
そして今日、私はイギリスで最も力を持ち、最も危険な男の面接を受ける。眠れたことが不思議なくらいだった。
面接のことを考えると吐き気がしたが、無理やり体を起こした。
今日ですべてが決まる。ロンドンの悪魔本人の面接が今日行われる。
身支度は10分でできた。背筋を伸ばしてから、古びたグレーの膝丈スカートを整えた。
淡いブルーのブラウスはスカートの中に入れた。薔薇色の頬が、まつ毛でくっきりと縁取られたヘーゼルの瞳の輝きを際立たせている。
あなたならできる、ローレン。自分に言い聞かせたが、そんなことで和らぐような緊張感ではなかった。
タクシーに乗り、行き先を告げると、運転手は驚いた顔をした。
もう一度行き先を聞かれたので住所を告げた。
「お客さん、本当にそこに行きたいのですか?」 不安げに聞く。
「はい」 苛立ちながら答えた。
その後、運転手は何も言わなかったが、こんな身なりの私がそんな場所に行くのが信じられないらしく、バックミラー越しに何度もチラチラ見ていた。
タクシーはキャンベル・インダストリーの向かい側に停まった。
ビルの前で降ろしてくれない理由をたずねようと思ったとき、「タクシーはここまでしか近づけません。お客さんにはここで降りてもらうしかないんです」と、運転手が説明した。
私は口をあんぐり開け、呆れて首を振った。
タクシーを降りてからブラウスを直した。そんな私の姿が目に入った人には、どれだけ緊張しているのか一目瞭然だっただろう。
目の前のキャンベル・インダストリーは60階建ての巨大ビルで、その前に立つ私を見下ろしていた。
高く、広く、威圧的だった。噂が本当ならば、ビルの中で起こっていることは外観の比ではないそうだ。
入口の警備員の横を慎重に、しかし堂々と通り過ぎてビルの中に入った。
そこにいたのはカチッとした高級服を着て闊歩する人ばかりで、自分の服装が恥ずかしくなった。
彼らは魅力に溢れ、まるで全世界をその肩に背負っているようだった。
緊張しながら受付に直行すると、そこには青い服を優雅に着こなす赤毛の女性がいた。
ヘーゼル色の瞳で私を値踏みすると、あからさまな嫌悪感を表した。
「コーヒーショップならこの先の通りですよ」 少しイタリア語訛りのある声で言った。
「はい?」 混乱して聞き返した。
すると、馬鹿なの?と言わんばかりに私をじっと見た。
「コーヒーショップに行きたいんですよね?」
「いいえ、面接に来ました」
完璧に整えられた眉をと口角を上げながら、その受付嬢は「あら?」と声を上げた。
もう一度品定めをして舌打ちをしてから私を見た。
この女の顔を殴りたい。私の身なりだけでここに来る価値のない人間だと判断したのだ。ほんと、なんて女だ!
受付嬢はわざとらしく息を吸い込んでから作り笑いを浮かべた。
「20階です。左に曲がると面接に来た人たちが沢山いますよ」
唇が引きつった。
受付嬢の最後の言葉は、大勢の面接希望者の中で私が受かる確率はゼロだとでも言いたげだった。
なんて嫌味な女。
「ありがとう」 苦々しい思いでお礼した。
「幸運を祈っています」 再び上から下まで見たあと、作り笑顔とともにそう言った。
ムッとしたが気持ちを落ち着かせて、エレベーターに乗り込み、壁に背中をつけて目を閉じた。
これで正しかったのか?
今すぐ逃げ帰りたかったが、そうするべきではないことも承知していた。給料がいい会社はここだけだ。
これは父のためだ。ここで働くことを考え直しちゃいけない。
ここで働く? まだ働けるか決まってもいないし、そんなラッキーなことが起こるか分かりもしないのに。
この面接が成功することを祈りながら目を固く閉じた。失敗は許されない。
父の命がかかっているのだから。
落ち着いて自分を信じればきっとうまくいく。
「降りないの?」 横にいた男性に言われて我に返った。
もう20階に着いていた。声をかけてくれたグレーのスーツを着た年配の男性に謝罪の言葉をつぶやいて、エレベーターから降りた。
左手の壁全体が巨大な窓になっていて、そこの下に広がるロンドンの素晴らしい景色を見た。
受付で言われた通りに進むと、彼女の言葉通り、そこには沢山の人がいた。
あまりの多さに列の終わりが見えなかった。しかも揃いも揃って上品な服を着ている。
女の子のグループが私をちらりと見てクスクス笑うのが聞こえた。
彼女たちがセクシーで素敵な服を着ているからといって、こんな風に扱かわれる筋合いはない。
座る場所を探そうと大勢の間を通り抜けた。
部屋の端に空いている椅子を見つけて向かったが、ひとりの男が先に座って、こちらを見て肩をすくめた。私はにらみ返した。
元いた場所に引き返そうとしたが、人の波にのまれてしまい、全く違う方向へ押しやられた。
気がつくと、部屋の端にある銀色のドアの外に押し出されていた。
すると、そのドアが自動的に閉まってまったく動かない。私はパニックになった。もう一度押してみたがドアはビクともしなかった。
うわっ、最悪!
自分がどこにいるのか確かめようと振り向くと、薄暗く長い廊下が続いていて、その先にエレベーターがあった。
安堵のため息が出た。出口がある。ボタンを押すとドアが開いたので急いで中に入った。
21階のボタンを押そうと探すも、このエレベーターにはボタンがひとつしかなかった。キャンベルのロゴが入ったボタンだけ。
絶望が私を襲った。
しかし出口のない罠にはまったままここにいるよりは動くほうがいいと思い直して、ボタンを押した。
意味もなく心臓が高鳴り始め、手が微かに震えていた。ここは息苦しく、何か恐ろしいものの気配を感じていた。私、一体どうしたんだろう?
エレベーターが止まり、ドアが開いた。外に出れば息ができると思い、素早くエレベーターを降りた。
ここはどこ?
周囲を見回すとあごが外れそうになった。
大げさに言っているわけじゃない。
オフィスは広大で息をのむほど美しかった。あるもの全てが富を物語っていた。
白い革張りの椅子は光沢を放ち、触れるだけで汚れそうで怖かった。
そして、ここから見える景色は……言葉にならないほど素晴らしかった。
壁に飾られた絵に息を呑んだ。匿名の買い手が10億ポンドで買ったと国内が大騒ぎした絵だった。
10億ポンドかぁ。違う世界の話だわ。
壁には暖炉と大きな薄型テレビが備え付けられている。オフィスの全てが白で統一されていて、ペンさえも白で揃えられていた。
突然ドアが勢いよく開き、いくつもの足音が聞こえた。状況をを理解するより先に、誰かが私の肩を掴み、乱暴に床に押し倒した。
そして、冷たく硬いものが額に押しつけられた。銃口だった。勘弁してよ。
映画の中ではよくあることだが現実に起こるわけがない。まさか自分が犯罪者みたいに床に押し倒されて銃を突きつけられるなんて、あり得ない。
銃を突きつけている人物を確認したくて頭を上げた途端、押し戻された。顔を歪ませて歯を食いしばった。
「その頭を吹き飛ばされる前に、お前がプライベートオフィスにいる理由を言え」 ドスの効いた声が吠えた。
プライベートオフィス?
「言え! 今すぐだ!」
恐怖で震え上がった。
「じ、実は……迷ってしまって、ここが入ってはいけない場所だと知らなかったんです」
「ごめんなさい。お願いだから撃たないで」 私は目を閉じて神に祈った。このまっ白なオフィスの床一面を私の血で染めながら息絶えたくないと。
「その女を起こせ、ギデオン」と言う声が聞こえた。全身の血の気が失せて胸の鼓動が速くなった。その声は冷酷で圧倒的な支配力を感じさせた。自分の怒りを一切隠さない強烈な力のようだった。
その言葉に従い、ギデオンが銃口をこめかみに当てたまま私を跪かせた。
目の前の男を見たとき、ギデオンに命令した男の正体を知ったとき、一瞬で……
私の
呼吸が
止まった。
銃を突きつけられるまでもなく、その男の威圧的な佇まいは私を膝まづかせるのに十分だった。
荒々しい息遣いで、筋肉のついたたくましい胸はたった今マラソンを終えたかのように上下していた。
頭のてっぺんからつま先まで黒ずくめで、スーツの袖は下の力強い腕が浮き立つほどピッタリとフィットしていた。
その顔は神々が丹精込めて彫ったかのようで、男も女も嫉妬する頬骨、すっと筋の通った高い鼻、肉厚で潤った赤い唇をしていた。
そしてその目。
ああ、神さま。これほど純粋な銀色の目などあるのですか?
それは今まで生きてきて見たことがないほど鮮烈で冷酷な目だった。
指で黒い髪をかきあげた男は、その銀色の目で、彼をちらちらと見る私の愚かな魂を破滅させようとしていた。
激しい睨みは人類の存在を消し去ってしまうほどだった。
そう、悪魔と呼ばれるあの男、メイソン・キャンベルだ。この世で最も凶悪で、最もセクシーな男がそこにいた。
嵐の前にとどろく雷のような声で命令した。「10秒やる。私の書斎にいる理由を説明しろ 」
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