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Cover image for Trapping Quincy 運命に逆らうクインシーと王子の出会い 5巻

Trapping Quincy 運命に逆らうクインシーと王子の出会い 5巻

壊れたフィルター

クインシー・セント・マーティン

老いぼれマドックスが扉を大きく開けると、小柄な女性がおずおずとトレイを持って入ってきた。

「おまえは私が覚えている以上に美しい」と彼は言って、私の顔と体を撫でながらベッドに近づいた。「それとも、前回会ったときよりも美しくなったのかな」

女性は頭を下げ、トレイをナイトテーブルに置く。彼女の動作はぎこちなく、怯えた様子だ。

彼女は皿の蓋を取ると、食欲をそそる匂いが部屋に漂う。

眠気は拭えないけど、片目を開けてトレイを見ようと頭を上げる。

ポテトと野菜のミートローフ。お腹が鳴る。最後に食べたのは、昨日の車中、あの男たちが私に与えた一握りのチップスだった。

老いぼれマドックスは笑って言う。「腹が減っているだろ」

「腹ペコよ」と私は言った。この老いぼれに強い反感を抱いているにもかかわらず、私の声はとても大きく、妙に陽気だった。

ふと、数カ月前に私が出て行ったとき、彼の義理の娘であるルナ・ビアンカのお腹がかなり大きかったことを思い出した。それで、つい「どう、おじいちゃん? おめでとう! 孫と遊ぶのに忙しいんじゃない?」と付け足した。

『おじいちゃん』という言葉に、不機嫌そうに顔をゆがめる。普通の人なら喜ぶんだろうけど、この元アルファは普通じゃない。だから、私はわざと生意気な態度をとっているのかもしれない。ひょっとするとまだ薬でハイになっているだけかもしれないけど。

「やったね、おじいちゃん。嬉しいでしょ! イェーイ!」枕に頭を落とす前に、拳を振り上げた。まだ頭がボーっとしている。

濃い眉毛が下がり、唇は不愉快そうにさらに吊り上がる。かなり不細工な顔になる。ああ、かわいそうな孫に遺伝しなければいいけど。

今度は顔が赤くなった。おっと。声に出しちゃった? 私の脳から口の間にかかっているはずのフィルターは、以前はほんの少し傷ついてただけだったのに、今は完全に壊れている。この老いぼれじじいから何かを受け継ぐのは、孫にとっては不幸以外のなにものでもない。こいつの髪の毛はどこ? ハゲが似合う人もいるけど、マドックスは……。

人狼であるにもかかわらず、容姿の面では非常に不運だと言っておこう。あの濃い眉毛の何本かは、彼の頭の上にあるべきだ。

えっ……、今のも口にしちゃった?

「無礼なガキめ!」とマドックスが吼える。「おまえのために食事を持ってきてやったんだ。こんな態度をとるやつに、優しくなんてしないぞ」

そして、まだナイトテーブルのそばに立っている小柄な女性に向かって「おまえ!」と叫ぶ。カップとソーサーが彼女の手の中でガタガタと音を立てる。「食事を下げろ!」

彼女は急いでそこから出ようとするあまり、何もかも落としてしまいそうだった。彼女はオメガの一人に違いない。

すべての群れがオメガにひどく当たるわけではないけど、この群れではひどかった。

ナナが死んだ後、私が受けた仕打ちと同じだ。

オメガと私の違いは、私が反撃したことだ。ナナは私に自分の価値をわからせてくれた。ここでのオメガにはチャンスがない。彼らの精神は、芽を出し花開く前に破壊されてしまう。生まれてからずっと受けてきたコンディショニング(調教)がそうさせるんだ。

老いぼれマドックスは私の顔を乱暴につかんだ。彼の目は暗く、指は私の頬に食い込んでいる。

「この野郎!」と彼は吠え、唾液が飛び散った。「すぐに立場をわきまえさせてやる」と彼は脅し、私の顔を押しのけて出て行った。マドックスが乱暴に閉めた扉の音で家がガタガタと揺れた。

私は顔についた彼の唾を拭った。おぇぇ!

あいつらが投与した薬、それが何であれ、とても不思議な薬だ。すごく眠くなるんだけど、短い時間ならすごく明晰に考えることができる。でも、考えていることを何でも口に出してしまう。

また、眠りに落ちそうになったとき、閉め切った扉の向こうから押し殺した声が聞こえてきた。

「クインシー?」聞き覚えのある声だ。「クインシー?入ってもいい?」

「ジョーデン?」私は声をかける。声がとても大きい。どうも上手くコントロールできないようだ。「ジョーデンなの?」

扉がゆっくりと開き、ジョーデンの見慣れたダークカールが顔より先に現れた。彼は散髪が必要だ。

「髪、切った方がいいわね」と私は彼に言う。

ジョーデンはドアを閉めて部屋に入り、私を見て肩を落とした。彼がベッドの端に座ると、マットレスがくぼむ。

「Q」と悲しそうにささやく。疲れた顔をしている。「なんでここに戻ってきたの? ジョナは? ジョナが君を守ってくれるはずだったのに」

「ジョナはどっかに行っちゃったの」とジョーデンに伝える。

「行っちゃった?」彼は叫びそうになったのをなんとか我慢して声を低くした。「行っちゃったってどういうこと? どこに行ったの?」

「あー、J、会いたかった。大好きよ。わかってるでしょ? ナナが大好きだった」急に涙が出てきた。「ナナに戻ってきてほしい。カスピアンに戻ってきてほしい。ジョナに戻ってきてほしい。私は……」

「Q、ジョナはどこに行ったの?」

ジョナはどこに行ったんだろう。「それが問題よね、そうでしょ?」私は眉をひそめ、懸命に考える。でも、わからない。

「待って、カスピアンって誰?」ジョーデンが尋ねる。

彼の顔が滑稽に見える。だから私は笑った。

ジョーデンは面白いと思っていない。彼は顔をこすりながら、心配そうに私を見ている。「薬、使われたんでしょ……」

「あいつら、私に耐えきれなかったみたい。エンツォに『地獄から来た小悪魔』って言われたわ」私は口を尖らせて文句を言った。

ジョーデンはため息をつく。彼は19歳には見えない。ストレスがたくさんあるんだろう。かわいそうなジョーデン。

「食べる物……、持ってたりしない?」と私は言う。

「持ってないよ、Q。なんであんな風にマドックスを怒らせるようなことをしたの?」

「フィルターが壊れるの」と私は頭と口を指差しながら言った。

ジョーデンは首を振る。「よく聞いて、クインシー」と彼は私の肩を抱きながら言う。

私をクインシーと呼ぶときの彼は真剣だ。だから私は注意を払う。

「君がラリってるのはわかってるけど、君と二人で話す時間はそんなにないし、これは重要なことだから、ちゃんと聞いて」

うん。わかった。聞く。

「あいつらは、僕が君の逃亡を助けたんだと思ってる。僕がまだ生きているのは、僕がベータの息子だからで、あいつらはまだ僕を利用できるって考えている」

まずい感じがする。

「あいつら、僕を君の警護に任命したんだ。もし君がまた逃げたら、僕のせいにされる。僕の言っていることわかる、クインシー?」

「うん、ここに残る」そう答えた。私はジョーデンを殺させない。

「わからない」ジョーデンは長い巻き毛に手をやりながら言う。「あいつら、昨日の夜群れのみんなに、君がマドックスの二番目の番いだって発表したんだ」

私は顔を歪めた。全く嬉しくない。

「一度マーキングされたら、一生ここから出られない。マドックスはすぐにそうしそうな気がする。あいつはもう君を逃がさないよ、Q」

「一緒に逃げて」と私は彼に言う。

すでにそのことを考えていたかのようにジョーデンは頷いた。でもその目には不安と恐れがある。心の奥で何かモヤモヤする。

「どうしたの?」と私は尋ねた。

ジョーデンはまた首を横に振るだけだった。「何でもないよ、Q。きっとなんとかなる」彼の表情は敗北感に満ちている。私の心は押しつぶされそうだ。ジョーデンは、私たちが生きてここを出られると思ってない。

ダメだ、生きて帰れる可能性が低いのなら、そんな賭けはしたくない。いとこには死んでほしくない。

私は命をかけてもいいけど、ジョーデンがそうする理由はない。

カスピアン。彼の鮮やかな緑の瞳、香り、手触り、小さなベッドで私を見つめる表情が脳裏をよぎる。あれが彼に会う最後であるはずがない。

気づくのに時間がかかったけど、私たちのつながりは深い。骨の髄まで染み渡り、血液のように私の体中を駆け巡る。

このつながりは私の魂にしっかりと絡みつく。彼なしでは私はもう何もできない。この虚しさを無視することができなくなっている。

離れて過ごせば過ごすほど、息苦しくなる。

ジョーデンに彼のことを話したい。もし私が逃げ出せなかったとしても、彼には私の不愉快で、生意気で、迷惑で、思慮深くて、優しくて、魅力的な金の王子様のことを知ってもらいたい。

ドンとエンツォがドアを開け、ノックもせずに部屋に入ってきた。二人とも怪訝そうに私たちを見ている。そう、私たちが脱走の話をしていたことを知っているのだろう。ジョーデンを私のガードマンに仕立てたのは、私にとってはとても罠にしか感じられない。

「食べ物を持ってきたの?」私は尋ねる。

二人は私をにらんでいる。

ジョーデンは唇が引きつっている。この部屋に入ってきてから、彼の顔に笑顔らしいものが見て取れたのはこれが初めてだ。「もう二時過ぎだよ。今朝ここに連れて来られてからずっと寝てたし、きっとお腹が空いているんだよ」とジョーデンが私をかばう。

「餓死しようが俺たちのしったことか!」とエンツォがキレる。

「アルファ・マドックスがおまえに会いたいそうだ」とドンがジョーデンに告げる。

ジョーデンは、今にも襲いかかりそうな顔をした二匹の野獣を私の部屋に残していくのが嫌そうだけど、彼に選択の余地はない。二人を睨みつけながら、ジョーデンは部屋を出て行った。

エンツォは私のことを手がかかるとつぶやき、「悪夢」、「悪魔」、「最悪な女(ビッチ)」と呼んでいる。これらはエンツォが私のことを呼ぶ呼称の中ではかなりかわいらしいもので、ドンは心から同意しているみたいだ。

「うわぁ、それ本当に傷つくよ、エンゾ」なんてね! 「クソ野郎!」私はつぶやく。この二人はは何をしてるんだろう。ただそこに突っ立って私を見て、私の悪口を言っている。「変態」と私は付け加えた。

カリフォルニアに置いてきた罰金箱にいくら入れないといけないのか、どうやって逃げようかと考え始める。すごく眠い。早く薬が切れて、走れるようになるといいんだけど。

今のも口にしちゃったかな? もうどうでもいいや。

私は二人に中指を突き出し、横向きになった。

眠りに落ちながらも、私の心は痛々しい虚しさで涙を流す。私の中の何かが、どうしても彼を必要としている。

私は、魅惑的な緑の瞳と悪い笑みを浮かべた黄金神(ゴールデン・ゴッド)の夢を見る。

***

パンを指で裂き、残りのビーフシチューに浸してから口に詰め込む。牛肉のブルゴーニュ風だった。これはナナがよく作ってくれたのとほとんど同じ味だ。何よりも、私はお腹が空いている。

エンツォに起こされ、料理とみんなが待っている食堂に案内されたときは信じられなかった。

テーブルのみんなが私を見ている。みんなというのは、ルナ・ビアンカ、叔父さんの奥さんのマリア、いとこのジョエルとその友達数人、群れの他の女性数人、妹のケイトリン・ローズ、そして最後に、私の最愛の母のことだ。

私がまだ幼い頃から、私が彼女たちよりはるかに格下であることは明らかだった。あまりにも格下なので、私はみんなと同じテーブルに座る資格がない。

じゃぁ、なぜ私は今、群れの食卓に座っているのだろう?

正直なところ、私にはわからない。私には最後の晩餐のように感じられる。死刑執行の直前に囚人たちに出される食事のことだ。

母親を除いてみんな笑顔だけど、どんなに作り笑いを浮かべても、私に対する根深い嫌悪感は隠せていない。驚いたことにその中の一人の目には、憐憫の情が浮かんでいた。同情はされたくないけど、嫌悪と敵意以外は予想外だった。

「ジョエル、食事が済んだらいとこを散歩に連れて行ってあげたら?」ルナ・ビアンカがそう言う。

「もちろんよ、ルナ」いかにもそうしたくてしょうがないかのようにジョエルが答えた。

私は二人を怪訝そうに見た。ここにいる全員のことをずっと疑いの目で見ている。

群れの家は要塞のように守られている。私が寝ていた寝室——そこは老いぼれマドックスの寝室だった——を出てすぐ、それに気づいた。

ジョエルと彼女の友人のケリーとの散歩は、私がすでに知っていることを再確認させた。家全体が厳重に警備されている。敷地の至るところにループ・ノワール・パックの戦士たちがいる。

いとこの打ちひしがれた顔に納得ができた。ジョーデンは、脱出する可能性がゼロであることを理解していたんだ。逃げようとするだけで、二人の死は確定したようなものだった。

「さあ、部屋に戻りましょう。お風呂の用意があるはずよ」群れの家の周りを連れ回した終えて、ジョエルは私に言った。

「あなたが逃げていった先にはシャワーもバスタブもなかったの?」

「あ、それ私も思ってた」彼女のクローン、ケリーから返事が返ってきた。

ジョエルは鼻を指で覆い、二人ともハイエナのように笑う。

私が臭いのはわかってる。最後にシャワーを浴びたのは二日ほど前だし、その二日間乗っていた車は死ぬほど臭かったから。

この二人は気持ち悪いほど優しく振る舞っていたけど、明らかに私のことを見下していた。嫌みったらしい称賛の言葉で、私を馬鹿にしている。

「少なくとも、私の場合はシャワーを浴びれば、いい香りがするわ。でも、あなたたち二人はあまりにもクソだから、どれだけお風呂に入ってもその匂いは取れないでしょうね」

ジョエルは息を呑む。「なによ、それ! クインシー! なんて失礼なの! こんなに優しく接してあげてるのに……」

「そうよ、こんなに親切にしてるのに!」ケリーも同意する。「なんにも変わってないわね」

「悪い血筋を変える薬はないわ」とジョエルは言う。

「でも、マドックスさんの番いになったら変わると思ってたわ」とケリーは私がそこにいないかのように言った。

「私はマドックスの番いじゃない!」

「何言ってるの! マドックスさんがあなたを欲してくれたこと感謝すべきよ」ジョエルがせせら笑いながら言う。「正直に言うわ、クインシー」ジョエルが私に近づいて、耳元で囁く。「誰もあなたにここにいて欲しいって思ってないの。あなたは役立たずなのよ。オメガより役に立たない。あなたはとても哀れなのに、それさえもわかっていないみたいね。私たちが何度教えてあげても、あなたは自分がどんな存在なのかさえ理解できない」

彼女は背筋を伸ばす。彼女の目には憎しみが満ちている。

その通りだ。私には理解できない。その憎しみがどこから来るのか理解できない。彼女やこの群れの誰かに悪いことをした覚えはない。少なくとも、これほどの嫌悪と軽蔑に値するようなことをしたことはない。

彼女はドレスの皺をのばし、深く呼吸した。

「私たち、あなたを追い出そうと思ってたのよ」彼女はまるで天気の話をするかのようにさりげなく続ける。「でもマドックスさんが、あなたを二番目の番いにするって言ったから、あなたに親切にしてあげてるの」

彼女が私に微笑んだ後、ケリーも私に微笑む。微笑みよりも憎しみのこもった眼差しの方がいい。私の背中から血まみれのナイフが抜かれる日もそう遠くない気がする。

私はマドックスの寝室に連れ戻された。二人の太った衛兵が私たちをエスコートした。ドンとエンツォがドアの前に陣取っている。

部屋の中では三人の女性が私を待っていた。そのうちの一人が私をお風呂に案内し、別の二人が私をそこで待っている。

バスタブには湯が張ってある。湯気が立ちのぼり、ラベンダーの香りが充満している。この間亡くなったジュディス・マドックスを思い出す。彼女はラベンダーの香りがした。気分が悪い。

さっき食べたビーフシチューが胃からこみ上げてくる。私は振り返り、膝をつき、吐いた。

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