アリエルは群れの一人前の戦士になることを夢見る20歳の女性だが、2年前にハンターに誘拐され、科学実験の対象にされていた。激しい実験により意識が遠のくアリエルの前に、月の女神セレネが現れる。セレネはアリエルに治癒能力を与え、ここから逃げ出して伴侶を見つけるよう伝える。アリエルはゼイヴィアのことだと思っていたが、セレネから伴侶はゼイヴィアではないと告げられる―。
対象年齢:18歳以上
アリエル
「どうした、アリエル、おまえの力を見せてみろ」
ゼイヴィアの逞しい腕が私を包み込み、背中を壁に押しつけられた。
彼から土の匂いがして頭がクラクラする。胸に彼の広い胸を押しつけられて息苦しくなる。
集中力が切れそう。でも、ダメ。
屈するわけにはいかない。
自分の能力を証明しなくちゃ。
私は素早くゼイヴィアの手首を掴んで肩にかけると、体をひねって投げ飛ばした。
私はニッと笑う。「これが見たかったんだよね?」
観客が熱狂する。そう、観客だ。私は今、人生で最も過酷な試験の真っ最中で、みんな私がうまく乗り越えるのか、無様に失敗するのか見届けようとしている。
私が群れの一人前の戦士になるための最終試験に合格することを願いながら、分隊の仲間全員が横で応援してくれている。
出し抜けに足を払われ、仰向けに倒れた。
即座にゼイヴィアが私にのしかかる。
スポーツブラを着けただけの体を押さえつけられ、汗で濡れた互いの体が密着する。
彼は顔を近づけて私の耳元で囁く。「負けを認めろ、アリエル。抵抗するな」
心臓がドキドキして、胸が張り裂けそうだ。
ゼイヴィアがこうやって私に覆い被さるのを夢見ていた。
彼の息を首筋に熱く感じる。「あとでこんなふうにしてもいいかもな。服を着ずに」
彼の手が私のお腹から太ももへと滑り、強く、飢えているかのように掴む。
私は彼の下で身をよじらせた。彼に触れてほしくて、熱に身を委ねそうになる。
何年もの間、ゼイヴィアが私の伴侶ではないかと考えてきた。今がそれを確かめる絶好の機会だ。
屈服するのは魅力的な提案だけど、今はもっと重要なことがある。
私は足を振り上げ、彼の首に巻きつけて三角絞めにすると、彼の驚いた表情を鑑賞する。
もっと大事なこと――彼に勝つとかね。
「攻守が逆転したみたいね」私は囁いた。
できるだけ太ももをきつく締めて、ゼイヴィアが逃げられないようにする。
少しして、彼は地面を叩いて降参の合図をした。
観客が歓声を上げ、仲間の分隊員たちが闘技場に押し寄せてジャンプし、叫び、スポーツドリンクを四方八方に撒き散らす。
私は放心状態で地面に倒れ込んだ。本当に次期アルファを倒したの? 本当に勝ったの?
ゼイヴィアが先に立ち上がって手を伸ばした。私が手を取ると、彼は私を引き起こし、私はそのまま彼の胸に飛び込む。
「よくやった、アリエル。おまえは今日、自分が真の戦士だと証明したんだ」
彼が身をかがめ、私は一瞬、彼にキスされるのかと思ったが――。
ゼイヴィアは私の耳元で、低く抑えた声で優しく言う。「そして今夜、アルファにふさわしいということを証明するんだ。別の方法で」心臓が口から飛び出しそうで、私は完全に言葉を失った。
信じられない――ゼイヴィアが私を求めてくれてるの?
***
手首に巻かれた鎖を締めつけられて、私は意識を取り戻した。
一瞬、自分がどこにいるのか思い出せなかった。瞬きをして目を開けると、ひび割れたコンクリートの天井が見える。
直後、胃にレンガが沈むみたいに、すべてが蘇ってきた。泣きたい衝動をこらえる。
銀の手枷がむき出しの手首に食い込んだ。2年もの間、科学実験の対象にされて、価値のない動物のように扱われてきたのだから、痛みには慣れていると思うかもしれないが、ときどき耐えられなくなる。
最初の1年は最悪だった……。
実験は、微量のトリカブト――ウルフスベイン――の汁を静脈に注射して、体への影響を分析するのだ。私の体への影響を。そして私の中の狼への影響を。
ウルフスベインが、血管を流れながら焼けるような痛みを引き起こし、それが彼女――私の中の狼――との結びつきを弱め、断ち切ったのだと、最初の頃に知った。
私は丸1年、彼女なしで過ごしてきた。頭の片隅でかすかに彼女を感じて、痛みと悲しみですすり泣くだけだった。
これほど孤独を感じたことはなかった。
やつらは私の家族を……。
友人を……。
私の中の狼を奪った。
あまりの痛みに、まぶたが痙攣して目を閉じそうになる。
すると、すでに痣のできている頬をぴしゃりと叩かれた。
「まだ気絶すんじゃねえよ、このアマ。今日はまだ始めたばっかだぜ」ハンターのリーダー、カートが汚れた爪を私の肩に食い込ませた。
「地獄に堕ちろ」私はなけなしの闘志を振り絞って言った。
奇妙に聞こえるかもしれないが、カートの冷たい灰色の目だけが、私を支えている。やつの顔からあれをえぐり取るという考えだけが……。
その目を初めて見たときのことをよく思い出す。それは私が戦士としての訓練を受けられることになった夜。ずっと夢見ていた夜のことだった。
湖のほとりで眠り込んでしまった私が目を覚ましたら、その目がすぐ前にあり、完全な敵意を浮かべて私を睨みつけていた。
私たちの群れが人間を攻撃したことは一度もなかった。けれど、ハンターにとってそんなことはどうでもよかったのだ。
彼らの望みは狼人間を根絶やしにすること。
しかし、彼らが私をどうしたいのか、なぜ2年間も生かしてモルモットにしているのかはわからない。
「てめえの立場を思い出させてやらないとな、この雑種め」カートは銀色の液体が入った注射器を手に取りながら言った。
「いや、やめて!」注射針を刺されて、私は叫んだ。
背骨が伸び始め、骨が砕ける恐ろしい音が部屋中に響き渡る。
カートはどうにかして私の中の狼を引きずり出そうとしているが、銀が邪魔をして、変身中の体が回復しない。
信じられないほど痛い。
肋骨が肺に突き刺さり、口から血が溢れた。
さらに、骨が皮膚をぐちゃぐちゃに突き破って、体のあちこちから血が吹き出す。
「くそ、くそ、くそ!」カートが叫ぶ。「銀を注射しすぎた! 衛生兵! 早くこっちに来い!」
痛くてたまらず叫びたかったが、口から出たのは哀れな喘ぎ声だけだった。
部屋がぼやけ始め、私を取り囲むように迫ってくる。
「死なせるな!」カートが怒鳴る。「最高の被験者なんだぞ。もう少しで完成なんだ!」
暗闇に包まれると、この世の物とは思えない静かな声が聞こえてきた。
「諦めないで、我が子よ」
***
連れ去られた夜と同じように、また湖のほとりに座っている。でも今回は、謎めいた女性がそばに座っていた。
淡いブルーの瞳、背中に流れる長い銀髪、まるで光を放っているかのような滑らかな白い肌。
この魅惑的な女性は誰なんだろう。
「こんにちは、アリエル。もっといい状況で会えたらよかったのだけど」女性は温かな口調で言った。
「あなたは……あなたは誰?」私は戸惑いながら尋ねた。
「私はセレネ、月の女神と呼ぶ人もいるけれど」彼女は柔らかく笑って答えた。
「どうしよう。月の女神様。神聖なる……」
「畏まらなくていいのよ。あなたに謝らなければならないわ」
月の女神が私に謝る? 確かに女神の存在を感じたのは久しぶりな気がするけれど。
「あなたはハンターに連れ去られるはずではなかったの」女神は温かな笑みを絶やさず、静かな口調で言った。
「でも、妹のフェイトは復讐に燃えるわね。あの子は別の未来図を考えていたのよ。私たちはあまり意見が合わなくて」
「気持ちはわかります」私は自分の妹を思い浮かべながら言った。
「この過ちを正すために、あなたに贈り物を――治癒能力を与えます」
セレネは身をかがめて、私の額にキスをした。「自分の痛みも、他人の痛みも癒せますように。最も必要としている人たちの光となりなさい」
セレネは姿勢を戻して、私の頬に片方の手のひらを当てた。その目が輝く。
「それからもう1つ、アリエル。これは私があなたのために定めた人生ではないわ。あなたはここから逃げ出して――伴侶を見つけなけさい」
「伴侶? それは誰ですか?」
「実はもう心当たりがあるのよ」
セレネは手を伸ばし、柔らかい手で私の頬に触れた。
心地よい感覚にため息をつきながら、私は女神の手に頬を寄せる。
「ゼイヴィアですよね?」私は2年ぶりに興奮が血管を駆け巡るのを感じた。
けれど、セレネの表情を見てハッとなった。
「そんなに単純じゃないのよ」セレネはゆっくりと答えた。
「どういう意味ですか?」私は混乱してよくわからなくなった。
セレネの優しい手が頬から離れ、周囲のすべてがかすみ始める。
「教えてください、私の伴侶は誰なのですか?」私は必死で尋ねた。
「別の者よ……。でも、今はこれ以上話せないわ。あなたは行かなければ。あのならず者たちから逃げなさい」
女神の姿が完全に消え去って、体中が温かくなった。
「彼を見つけなさい、アリエル。あなただけが彼を癒すことができる」
***
私はハッとして目を覚ました。手術台に拘束されたままだが、部屋には誰もいない。
(熱のせいで変な夢を見たんだろうか)
ぼんやりした夢から覚めるにつれて、1つのことがはっきりしてきた。
(私は死んだはずなのに)
気絶する直前、全身の骨が折れて、骨が皮膚を突き破り、大量の血を失っていた……。
首を伸ばして、ボロボロになった体を見ると……信じられない。
私の傷はすべて癒えていた。
長い長い間、感じたことのない力を自分の中に感じる。これが彼女の言っていた“治癒能力”なのだろうか?
感謝します、セレネ。でも、女神が言っていたのはそれだけではない……。
私に逃げなさいと言っていた……。
伴侶を見つけなさいと。そして、それはゼイヴィアではないかもしれないと……。
彼を見つけなさい。彼を癒しなさい。
どこから捜せばいいのかはわからないが、ここにいないことだけは確かだ。
私は鎖を外そうともがいた。今までみたいに銀で肌が焼けるように痛むことはないけれど、ピリピリした痛みを感じる。
階段の上でドアが開く音がし、誰かがおぼつかない足取りで下りてくる音がする。
きっとまた酔っ払ったカートだろう。あの男は酔っ払っているとき、私を痛めつけるのが大好きだ。
でも、私が力を取り戻したことをあいつは知らない。それを利用してやる。
「やっと目が覚めたか、雑種女。いいだろう。ちょっとゲームをしようぜ」カートはろれつが回っていなかった。
カートは銀の首輪を掴んで私の首につけて、腕の鎖を外した。
彼は首輪に付いている鎖を引っ張り、私を立たせる。
カートはよろめきながら階段を上り始めると、私を引っ張った。
「こっちに来い、メス狼!」彼は鎖を強く握って言った。
(よし。しっかり掴んでろ、憎たらしいケダモノめ)
私はカートが最上段に足を乗せるまで待った。ドアの向こうから、ほかのハンターたちの声が聞こえてくる。
(勝ったと思ってるんだろうけど……今日は違う!)
私が唸り声を上げると、私の中の狼が姿を現し、私は鎖を思い切り引っ張った。
カートは足を踏み外して後ろによろめき、ボロ人形のように階段を転げ落ちる。
下まで落ちたとき、その衝撃でカートの背骨が折れて大きな音がした。
私は静かに階段の下まで歩き、カートを見下ろした。やつは私を見上げて懇願する。
「た、助けて……」
私はカートのポケットを探って、首輪の鍵を見つけた。首輪の鍵を外して、床に落とす。
私はカートの冷たい灰色の目を見つめた。この2年間、彼が私をモルモットにするときに毎日見てきた目だ。
(私を拷問した)
その目が私を支えてきた。いつか、彼の顔からその目をえぐり出そうと。
私の指先から鉤爪が伸びる。
「薄汚れた狼め。殺してやる。おまえら全員、殺してやる」彼は口から血を流しながらつぶやいた。
私は彼の顔に爪を突き立て、一気に引き抜いた。
「もう二度と誰も傷つけることはできないね」私は言って、着ていたボロボロの服で彼の血を拭った。
自分の中に何かを感じる。けれど、それは女神の力じゃない。そう、何か別のもの……。
これからどうしようか。
セレネの言葉に従うことにする。
私の伴侶がどこにいようと、見つけ出そう。そして、彼を癒そう。
その前に、ハンターたちに私にしたことの報いを受けさせてやる。
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